NOTES — 研究ノート

本場アメリカのディッキア

Dyckia ‘California’
Dyckia ‘California’(当方所有株、2025-08-23)

ディッキアの原産地はブラジルです。しかし、選抜と交配によって「品種」を作り出す文化が育った場所は、アメリカでした。 いま交配が最も盛んなのはタイかもしれませんが、その母材となった品種と系譜の多くは、カリフォルニアとフロリダに源流を持ちます。

なぜアメリカなのかWHY AMERICA

ディッキアは両性花で交配が容易なため、交配文化が広がりやすい属です(「ディッキアの基礎と形態」)。 アメリカには、ブロメリアの同好会(ソサエティ)による品評会と記録の文化、収集旅行で原種を持ち帰るナーセリー、そして郵便注文による全国流通が早い時期に揃っていました。 1980年代に米国で起きたディッキア人気の拡大は、資料によっては “dyckia explosion” と呼ばれ、その中心人物として Bill Baker 氏の名が挙げられます(Ruth Bancroft Garden の刊行物)。

交配の母材は、選抜された個体(クローン)と、その世代を重ねた実生群です。 アメリカの育種家たちが作ったクローンと実生の系譜は、ナーセリーと同好会を通じて世界へ出ていき、のちにタイの育種家たちがそれを受け継いで世代を進めました。 現在のアジアの交配式を遡ると、しばしばカリフォルニアの名前につながります。

ビル・ベイカーBILL BAKER

Bill Baker
Bill Baker

Bill Baker 氏(2009年没)は、カリフォルニア州サンフェルナンド・バレーの Reseda でナーセリーを営んだ育種家です。 カクタス・多肉・ブロメリアの愛好家の間で広く知られ、とりわけディッキアで数多くの交配を作りました。その多くは、彼が亡くなられた後も世界中で栽培され続けています(Succulents and More の調査記事)。 生年については資料が分かれています。Southern California Horticultural Society の顕彰ページと San Marcos Growers は1947年とし、Huntington の ISI(2022年)と Succulents and More の調査記事は1959年とします。当方ではどちらとも確定できないため、このノートでは生年を併記せず、没年(2009年、San Marcos Growers によれば4月11日)のみを記します。 彼は San Fernando Valley Bromeliad Society の圏内にあり、その株は Huntington Botanical Gardens のプラントセールでも扱われ、Huntington の International Succulent Introductions(ISI)プログラムを通じて配布されたものもあります(‘Ruby Snow’ が ISI カタログに掲載。Southern California Horticultural Society の会報)。

Baker 氏の仕事の核は、原種クローンの保持と、交配の世代を進めることにありました。 次節の ‘Brittle Star’ の種子親である Dyckia dawsonii は、Huntington Gardens で育てられていた由緒ある株で、その子株をカリフォルニアで保持していたのが Baker 氏と Dutch Vandervort 氏だったと伝えられます(Derek Butcher 氏の調査記事。同記事自身、この点は逸話的な証拠に基づくと断っています)。 優れた原種クローンを失わずに持ち続け、それを交配の出発点にする——この姿勢が、のちの系譜全体の土台になっています。 このアーカイブにも、‘dawsonii Bill Baker's Clone’ の名で伝わる株の記録があります。

‘Brittle Star’ の系譜THE 'BRITTLE STAR' LINEAGE

‘Brittle Star’(ブリトル・スター、BCR #2335)は、Baker 氏が Dyckia dawsonii ×(fosteriana × platyphylla)の交配から得た実生群(grex)の名前です。 作出は1980年代とされますが、これは Derek Butcher 氏の調査記事による年代で、BCR 自体の記録は「1998年以前」、原産地はカリフォルニアです。Baker 氏自身の言葉として「細く赤バーガンディ色の葉に、大きな白い棘」という説明が残されています。 同じ grex の姉妹には ‘Morning Star’ があり、この姉妹関係を2012年に BCR へ情報提供したのが Bryan Chan 氏でした。

重要なのは、‘Brittle Star’ が一代限りの品種ではなく、世代を重ねる母材になったことです。 実生は F2、F3 と進み、その中から各地で選抜が続きました。BCR に載る ‘Brittle Star’ の写真は、タイの Chanin Thorut 氏が Baker 氏から直接得た株のものです。 つまり遅くとも2000年代には、Baker 氏の材料はタイへ渡っていました。タイの Q Dyckia が選抜した ‘Bone’(‘Brittle Star’ F3 の選抜クローン)や、日本のラベルに残る「BS」の略号も、この幹の先にあります(「品種名と交配式の読み方」)。

‘Brittle Star’ 系統の株
Michael's Bromeliads 経由の ‘Brittle Star’ 系統の株(当方所有株、2026-10-31)

なお ‘Brittle Star’ は grex(実生群)の名前でもあるため、同じ名前で流通する株には幅があります。 選抜クローンと実生群を区別して記録することは、このアーカイブの基本方針でもあります。

なお、Baker 氏が亡くなられた後、妻の Dana 氏の管理を経てリリースされた original clone とされる株が、日本にも入っています。 ただし Chan 氏の談として国内の記録に残るところでは、管理の過程でタグの取り違えが起きた可能性も指摘されており、その真贋は確定していません。

ベイカーの代表作BAKER'S CULTIVARS

‘Warren’ BCR #2394。Dyckia marnier-lapostollei × ‘Brittle Star’、1998年以前の作出で、名前は交配者の父にちなみます。「幅広い銀色の葉に大きな白い棘」という説明が登録に残ります。ただしオーストラリアの同好会では、種子由来の株まで ‘Warren’ の名で流通した混乱も指摘されており、名前だけで個体を断定できない例でもあります。
‘Donna Marie’ BCR #13549。Bryan Chan 氏との共同作出(2007年、カリフォルニア)。名前は育種者の妻にちなみます。登録前は「FLL」というトラッキングコードで管理されていた株で、登録文書(Reg. Doc.)は2016年5月に Chan 氏が担当しました(BCR)。当アーカイブの略号 DM の品種です。
‘Heaven and Hell’ BCR #10296。C. Nguyen との共同作出(Baker–Nguyen、2006年)。交配式は(‘Arizona’ × ‘Brittle Star’)× ‘Brittle Star’ で、‘Brittle Star’ へ戻し交配した系統です(BCR)。
‘Keswick’ BCR(#2358)では作出者・両親とも未記録で、Baker 氏が2000年の World Bromeliad Conference(サンフランシスコ)にこの株を出品したことだけが記録されています。Tropiflora は「親は不明だが、亡きディッキア愛好家 Bill Baker の作と考えられている」と紹介してきました(この紹介文は Tropiflora の現行サイトでは取得できず、ここでは同社の従来の紹介として記します)。同好会資料には ‘Brittle Star’ が片親という説もありますが、一次登録では確認できません。
‘Mercury’ BCR には未登録の選抜クローン。交配は Baker 氏で、Tropiflora が同氏から ‘Brittle Star’ F2 の実生を入手し、その中から選抜・保持・増殖を決めたものです(Tropiflora の商品説明を、2023年の公開データと保存版で確認)。日本の流通でも「原クローン」として扱われてきた株です。
その他 ‘Tarzana’ は Succulents and More の調査記事が Baker 氏の代表的な交配として ‘Brittle Star’ と並べて挙げる品種。‘Cherry Coke’ は Gardeners' Path が「Bill Baker が開発」と記しますが、交配式の一次登録はありません。
Dyckia ‘Heaven and Hell’
Dyckia ‘Heaven and Hell’(当方所有株、2024-03-07)

Baker 氏の影響は、個々の品種の数よりも、「原種クローンを保持し、交配の世代を進め、選抜を続ける」という方法そのものが各国に広がった点にあります。 彼を「ディッキアの父」と呼ぶとすれば、それはこの方法と系譜の双方を築いたためだと、このアーカイブでは捉えています。

Dyckia ‘Tarzana’
Dyckia ‘Tarzana’(当方所有株、2023-01-22)

ブライアン・チャンBRYAN CHAN

Bryan Chan 氏は、Baker 氏と同じサンフェルナンド・バレーの同好会圏にいたカリフォルニアの育種家です。 1980年代後半からロサンゼルス周辺の複数のブロメリア同好会に所属し、San Fernando Valley Bromeliad Society では会長も務めました(2018–2019年の会報)。 ‘Donna Marie’ の共同作出者に名を連ねるだけでなく、Baker 氏の grex 群の記録を担い続けた人物です。

Baker 氏が亡くなられた後も、BCR の Baker 関連の記録には Chan 氏の名が繰り返し現れます。 ‘Brittle Star’(#2335)の注記における ‘Morning Star’ との姉妹関係の情報提供(2012年)、‘Donna Marie’(#13549)の Reg. Doc. 担当(2016年)のほか、‘Morning Star’(#11461、2012年)と ‘Arizona’(#12764、2015年)の登録記録でも Reg. Doc. を担当しています。 ‘Donna Marie’ が登録前に「FLL」というアルファベット式のトラッキングコードで管理されていたことも、BCR の記録から分かります。 実生や grex をコードで管理し、選抜された個体だけに名前を与えて登録する——Chan 氏の記録の仕事は、Baker 氏の系譜を「検証できる形」で残す役割を果たしました。

国内の流通記録からも、Chan 氏が管理した株の素性が追えます。 コードと名前の対応では、FAA = ‘Big Brother’、FOO = ‘Uncle Ray’、FSS = ‘Aunti Vi’ が知られています。 交配式の残る例として、CFF は ‘Arizona’ と ‘Brittle Star’ 系の交配(2006年)で、同じグループで現存が知られるのは CFF と ‘Snowstorm’(CAA)です。 ‘Tarzan’ と ‘Tarzana’ は別の名前で流通しますが、Chan 氏の説明では、同じ実生群から出た別個体同士です。

出展者としても活動し、彼が出展した Dyckia ‘Uncle Ray’ は、サンディエゴで開かれた World Bromeliad Conference でクラス最優秀に選ばれたと伝えられています(愛好家のブログによる伝聞)。

フロリダのナーセリーFLORIDA NURSERIES

カリフォルニアで作られた交配が世界へ出ていく出口のひとつが、フロリダのナーセリーでした。

Michael's Bromeliads(フロリダ州 Venice、Michael Kiehl 氏)は、30年以上前に St. Petersburg の自宅裏庭での通信販売から始まり、2000年に引退する Don Beadle 氏のナーセリーと土地を引き継いで Venice に移りました。 14棟のハウスを持ち、小売店「Donna's Secret Garden」も併設しています(事業者の自己紹介)。 Beadle 氏は1998年版 BCR の編者でもあり、そのコレクションの保管先となっています(Florida Council of Bromeliad Societies の会報、2015年)。 Dyckia は州間出荷の対象属のひとつで(フロリダ州の線虫証明リスト)、「他では得られない原種を扱っていた」という利用者の評価も残ります。 Kiehl 氏自身は品評会への出展を続けた愛好家で、属間交配 ×Dycklirium ‘Megalodon’ が2019年12月の Caloosahatchee の品評会で Best Multiple Bromeliad に選ばれた記録があります(FCBS 会報、2020年)。 2022年のハリケーン・イアン以降は一般への公開を止め、2023年5月に閉業したと利用者が伝えています。その後、事業は David Sand 氏へ引き継がれました(Sarasota Bromeliad Society の記録)。

Tropiflora(フロリダ州 Sarasota、Dennis & Linda Cathcart、1976年創業)は、米国最大級のコレクター向けナーセリーです。 夫妻は100回を超える採集旅行を行ったとされ(行き先は27か国とも紹介されます)、ブロメリアだけでも約4,000品種、100万株を超える在庫を擁したとされます(品種数・在庫数は FCBS のナーセリー案内による)。 年に数回発行されたカラーのカタログ兼ニュースレター「Cargo Report」は、世界中の趣味家が新着の原種と交配種を知る窓口でした。 2014年のブラジルへの探査では、ディッキアと地上性ブロメリアを目的に掲げたとフロリダの同好会報が伝えています。原種の導入を続けました。 同時に、Baker 系の材料を含む米国の交配種も Cargo Report で流通しました。2007年1月の Cargo Report には ‘Brittle Star’ F2 を親にした交配や、‘Mercury’ を親にした交配(reitzii var. rubra × ‘Mercury’)が載っていた、という購入者の記録が残っています(GardenWeb)。 シンガポールの Gardens by the Bay へ数千株の植物を供給した仕事も知られています。

Tropiflora は2026年、創業から50年で経営が代替わりし、ナーセリーは2026年10月末まで営業すると告知されています(Tropiflora 公式サイト)。 半世紀にわたって世界のブロメリア流通の中心にあった場所が、ひとつの区切りを迎えています。

タイ、そして日本へON TO THAILAND & JAPAN

アメリカの系譜は、ナーセリーと同好会のネットワークを通じてタイへ渡りました。 Chanin Thorut 氏が Baker 氏から直接得た ‘Brittle Star’ が BCR の写真株になっていることは、その早い時期の流れを示す一次資料です。 タイの育種家たちは ‘Brittle Star’ の世代を進めて選抜を重ね(F3 の選抜クローン ‘Bone’ など)、やがて日本へ株と書式が届くようになりました(「日本国内の趣味家シーン」)。

いまタイの交配が盛んなのは事実です。しかしその幹を遡ると、ブラジルの原種と、カリフォルニアの選抜・交配の仕事に行き着きます。 このアーカイブが高知で記録している交配式の多くも、その系譜の末端にあります。

出典SOURCES

Bromeliad Cultivar Register(BSI): ‘Brittle Star’ #2335、‘Warren’ #2394、‘Donna Marie’ #13549、‘Heaven and Hell’ #10296、‘Keswick’ #2358(registry.bsi.org)。 Derek Butcher, “Dyckia ‘Rabbit Warren Group’”(Bromeliads in Australia)。Succulents and More, “The story of Hercules”(2024年)。 Southern California Horticultural Society 顕彰ページ・会報(2021年10月)。San Marcos Growers(Baker 氏の没年・命日の出典)。Huntington International Succulent Introductions(2022年)。San Fernando Valley Bromeliad Society 会報(2018–2019年)。 Gardeners' Path, “How to Grow Dyckia”。A Growing Obsession(‘Uncle Ray’ の出展記録)。 Florida Council of Bromeliad Societies 会報(2011年、2013年、2014年、2015年、2020年)。フロリダ州 FDACS 線虫証明リスト(Michael's Bromeliads, Inc.)。 Dave's Garden の事業者レビュー(Michael's Bromeliads / Tropiflora)。GardenWeb の Cargo Report 購入者記録(2007年)。Tropiflora 公式サイト(tropiflora.com)。

調査:2026年10月

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